生活をおくる場所
こんにちは♪
長岡店の田中です☺
今週のお休みに、新発田の実家に帰りまして。
その時に感じたことを少しブログに綴ろうと思います😌
(大した内容ではないので田中の独り言だな…程度でお付き合い下さい!)
私の育った場所は新発田市の山手の方です。
だいたい月1くらいで実家へ帰っています🏡
帰省という言葉が大人としては使うべきかもしれませんが、何となく
言葉の響きなんかが好きではないので単純に「帰っている」がしっくりくるので
わたしはそのように表現します。
長岡に嫁ぎましたが、ただ帰っているだけなので。🤣
そんな私の実家は代々続く農家でして…(今は兼業農家)
小さいころは煙草畑を作り、養豚を行い、米作りを行い、野菜も作っていました。
煙草作りと養豚を辞め、現在はアスパラ作り・野菜作り・米作り(村で協力して行っています)
がメインとなっています。
アスパラ農家の朝は早く、収穫の時期になると朝の4時頃から畑へ出て収穫します。
おもに朝早く畑へ行くのは祖母と父なのですが、朝が異常に早い為いつもよりも
早めに目覚めてしまいます。(=_=)
そこから父は仕事へ向かう訳で…ほんとに凄いとしか言いようがありません。
20から働き始めてから尚更父の偉大さを感じました。
昔私がまだ10代の頃、元気だった祖父に聞いたことがあります。
私ーー「なんで食べる分、出荷する分以外にもたくさん野菜を作るの?
大変だし疲れるじゃん。」と
そしたら祖父はこう言いました。
祖父ーー「なんでって、なにかあった時に食料になるでしょう。
それと、助けてもらっている人たちに食べてもらう分だ。」と
その時の言葉が今も忘れられません。たまに思い出す言葉の一つです。
自然を相手にする職業の難しさと、田舎といわれる所に住んでる以上まとわりつく
「もしも」のために。
そしてその場所で暮らすということは「ひと家族」の概念が屋根の下の家族だけではないということ。
自分と家族が幸せであればそれで良いというものではなく
関わってくださる方に少しでも幸せをという考えで農業を行っているのかもしれません。
いや、でも結局のところ食べてくれた方の「おいしかったよ!」と笑顔が見たくて
行ってることなんだと思います!そこに見返りなんて求めないものなのかも…。
こんな風に書くと大げさに書きすぎ!と怒られそうなのでもうやめときます!笑
建築も同じ所があったりします。
元請け業者だけが幸せでは意味がありません。
お施主様はもちろんのこと、協力業者さんも幸せでなければ意味がないです。
そして最終的に両者から「あなたと家づくりができてよかったよ!」と言われることが
私たちの幸せとモチベーションにつながります。
(最後むりやり建築に繋げた感あるな!!)
都会には都会の生活、田舎には田舎の生活があると言いますが
どちらが正解と言うことではなくて、家族の肌に合う所で健康的に生活できれば
それでいいと思っています。
ただ、過疎化が進んでいる田舎と呼ばれる所でも豊かに生活のできる場所は多く存在していて
その場所を「守る」という事もこれからの時代を生きる者の役割なのかもしれませんね。
おわり。